土下座像(高山彦九郎像)とは|三条京阪の待ち合わせ名所「土下座前」は土下座ではなく御所を拝む姿

公開 最終確認:2026年10月7日

三条大橋東詰の高山彦九郎像、通称「土下座像」(2013年11月撮影)
三条大橋東詰の高山彦九郎像、通称「土下座像」(2013年11月18日撮影)

この記事のポイント(2026年10月7日確認)

  • 「土下座像」は、江戸時代の勤王思想家高山彦九郎の像です。
  • 土下座ではなく、三条大橋から御所を伏し拝んだという逸話を表した姿です。
  • 1928年に建立、1944年に金属供出、今の像は1961年の再建です。
  • 京阪三条駅のすぐ前で、昔から待ち合わせ場所「土下座前」として親しまれています。

「金曜日、土下座前に19時集合ね」。京都で学生時代を過ごした人なら、一度は聞いたことがあるかもしれません。

三条京阪の駅前、三条大橋の東のたもとに、ひざをついた人物の銅像があります。京都の人は「土下座像」「土下座」と呼びますが、ちゃんとした名前と由来があります。

土下座像は誰?:江戸時代の思想家・高山彦九郎

像の人物は高山彦九郎(たかやま ひこくろう)です。

生まれ延享4年(1747年)、上野国新田郡細谷村(今の群馬県太田市)
亡くなった年寛政5年(1793年)、久留米で自刃
どんな人江戸時代中期の勤王思想家。全国を旅して多くの人と交わり、幕末の志士に大きな影響を与えました。旅の日記を細かく残しています。
別名林子平・蒲生君平と並ぶ「寛政の三奇人」の一人

※太田市(高山彦九郎記念館)の資料、辞書より。

土下座ではなく「御所を拝む姿」

高山彦九郎先生皇居望拝之趾の石碑(2013年11月撮影)
像の脇の石碑「高山彦九郎先生皇居望拝之趾」(2013年11月18日撮影)

高山彦九郎は、三条大橋からはるかに御所を伏し拝み、皇室の衰えを嘆いたと伝えられています(京都市)。太田市の年表には、18歳(1764年)のときに「三条大橋に臥して帝城(皇居)を拝す」とあります。像はその逸話を表したものです。

  • 京都市の資料では、この像は「半踞像」(ひざをついて身をかがめた姿)と書かれています。
  • 脇の石碑には「高山彦九郎先生皇居望拝之趾」とあります。「皇居」は当時の天皇の住まい、つまり今の京都御所のことです。
  • 「土下座」に見えますが、実は遠くの御所を拝んでいる姿なのです。

いいね京都の2013年の記事では「御所の方を向いて土下座しているそうだ」と書きましたが、正しくは「御所を拝む姿」でした。

像の歴史:1928年建立、戦争で供出、1961年に再建

昭和3年(1928年)三条大橋東詰に銅像が建てられる(11月8日に除幕)
昭和19年(1944年)戦争中の金属供出で銅像が撤去される。跡地に石碑「高山彦九郎先生皇居望拝之趾」(徳富蘇峰の書)が建てられる
昭和36年(1961年)今の銅像が再建される

※京都市「京都のいしぶみデータベース」、太田市の年表、国立国会図書館レファレンス協同データベースより。最初の像の完成日を「11月9日」とする資料もあります。

高山彦九郎像の台座の説明板(2013年11月撮影)
台座の説明板(2013年11月18日撮影)

待ち合わせ場所「土下座前」

京阪三条駅のすぐ前にあるので、昔から待ち合わせ場所として使われてきました。「土下座前」「土下座」で通じるのが京都らしいところです。

金曜の夜には、ここに集合して飲み会へ向かう学生の姿がよく見られます。鴨川や先斗町、木屋町にも歩いてすぐです。

場所と行き方

場所京都市東山区、三条大橋の東のたもと(東詰)の南側
京阪「三条駅」のすぐ前
地下鉄東西線「三条京阪駅」。京阪三条駅と地下通路でつながっています

※三条大橋では、京都市の補修工事(その4)が2026年6月中旬ごろまでの予定で行われていました。歩道や河川敷の一部に規制がある場合があります。

近くの見どころ:三条大橋の擬宝珠と弥次喜多像

  • 三条大橋の擬宝珠(ぎぼし):橋の手すりの飾りで、天正18年(1590年)のものが今も使われていると言われます。2023年に手すりや歩道が新しくなったときも、擬宝珠はそのまま残されました(京都市)。
  • 擬宝珠の刀傷:幕末の池田屋事件のときについたと伝わる「刀傷」が残っています(京都市の発表より)。ただし歴史的な裏付けはなく、「そう伝わる」話です。
  • 弥次喜多像:橋の西のたもとにある、『東海道中膝栗毛』の弥次さん喜多さんの像です。三条大橋は東海道の終点として知られています。

よくある質問

土下座像は誰の像ですか?
江戸時代中期の勤王思想家、高山彦九郎(1747〜1793年)の像です。林子平・蒲生君平とともに「寛政の三奇人」と呼ばれます。
土下座像は本当に土下座しているのですか?
土下座ではありません。高山彦九郎が三条大橋から御所を伏し拝み、皇室の衰えを嘆いたという逸話を表した姿です。京都市の資料では「半踞像」と書かれています。
土下座像はどこにありますか?
京都市東山区の三条大橋の東のたもと(東詰)、京阪三条駅・地下鉄東西線三条京阪駅のすぐ前です。
土下座像はいつ建てられましたか?
最初の銅像は昭和3年(1928年)に建てられました。昭和19年(1944年)に金属供出で撤去され、今の像は昭和36年(1961年)に再建されたものです(京都市)。
「土下座前」とは何ですか?
高山彦九郎像の前のことで、京都では待ち合わせ場所として「土下座前」「土下座」の呼び名で通じてきました。

まとめ

三条京阪の「土下座像」は、江戸時代の思想家・高山彦九郎が三条大橋から御所を拝んだ姿を表した像です。待ち合わせで「土下座前」を使うときは、ぜひ脇の石碑や説明板も見てみてください。

出典(2026年10月7日確認)

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